課長呼び出しボタンは、もう鳴らない。
――議場の片隅に眠る、地方議会の進化論
先週、議会事務局から思いがけない話を聞いた。
「実は、今年の夏ごろに課長呼び出しボタンのヒューズを抜いたんです」
なんということだ。
あの課長呼び出しボタンが、知らぬ間にその生涯を終えていたのである。
そもそも、苫小牧市議会の議場には「課長呼び出しボタン」というものがある。
本会議場の部長席に備え付けられたボタンで、議場の北側、廊下を挟んだところにある「課長控室」とつながっている。
この課長控室は、本会議中に各部の課長職が待機する場所である。
一般質問などで、議員から細かい数字や政策の詳細について質問があり、部長が答弁に窮したとき、ポチッと押して現場の責任者である担当課長に助けを求めるための設備なのだ。
ボタンを押すと、課長控室に設置された表示板から「ブーッ」とブザーが鳴り、ずらりと並んだ各部長の役職名の下にあるランプが点灯する。
そこには、議会と行政のカウンターパート部門である総合政策部政策推進課の職員が控えていて、鳴動するとすぐにブザーを止める。
呼び出された課長は、答弁に必要な情報をA4用紙に走り書きし、議長席の裏から議場へメモを差し入れる。
そして、部長から部長へとメモがリレーされ、ようやく呼び出し元の部長の手元に届く。
なかなか仰々しい仕組みである。
しかし、この一連の作業が、議会の質疑と答弁を舞台裏から支えてきた。
ところが、現在このボタンの電源は切られている。
故障したわけでも、予算削減のあおりを受けたわけでもない。呼び出す相手が、最初から議場にいるようになったのである。
昨今は一般質問の際、担当課長が部長の後ろに控えている。部長が振り返れば、そこに課長がいる。
これでは呼び出しボタンが無用の存在になってしまう。
技術革新によって職を失う機械の話はよく聞くが、運用の変更によって失業したボタンというのも、なかなか気の毒な存在である。
議場という、ちょっと特別な場所
そもそも議場というのは、本来、誰でも気軽に出入りできる場所ではなかった。
かつての苫小牧市議会において、議場に立ち入ることができたのは、議員と正副市長、教育長、消防長、議会から出席を認められた部長、そして議会事務局の職員など、限られた人々だけであった。
もちろん、二階の傍聴席は別の話である。
議場に立ち入ることと、議会を傍聴することは違う。
議場という空間には、議会という機関の権威を目に見える形で示す役割もあったのだろう。
ところが、苫小牧市議会では、こうした権威性が年々ドレスダウンしているように感じる。
念のため申し添えておくと、私はこれを嘆いているわけではない。
議場の格式を守ることにも意味があるし、実務上の必要に応じて運用を変えることにも合理性がある。
厄介なのは、どちらにもそれなりの理屈があることだ。
議場で答えるということ
地方議会における質疑と答弁は、単なる質疑応答ではない。
議員は公の場で問題を提起し、行政側は組織としての見解や判断を明らかにする。
そこで交わされる言葉には、相応の責任が伴う。
地方自治法第121条には、議会の審議に必要な説明のため、議長が地方公共団体の長や関係者に出席を求める仕組みが定められている。
つまり、議場における答弁は、たまたま詳しい人に話を聞くというものではないのである。
もちろん、実務担当者が詳しいことを知っているのは当然だ。
しかし、詳しい人が答えることと、責任を負う立場の人が答えることは、必ずしも同じではない。
議場における答弁の重みは、このあたりにあるのだと思う。
ところが、質問が細かくなってきた
一方で、議会が行政に求める情報の質も変化している。
私は初当選後、最初の一般質問でEBPMについて取り上げた。
近年の行政の世界では、EBPMという言葉を使わずとも、政策を立案したり執行したりする過程で、データサイエンスに基づく統計分析や、人流データなどのビッグデータ解析の結果が反映されているのを見かける。
EBPMとは、Evidence-Based Policy Making、つまり証拠に基づく政策立案という考え方である。
政策を考えるにあたって、経験や勘だけでなく、客観的なデータや合理的な根拠を重視しましょう、という話だ。
これ自体は至極もっともなことである。
もっとも、EBPMが流行する以前の行政が、みんな勘と度胸だけで政策を決めていたわけではない。
それでは少々、昔の役人が気の毒である。
ただ、政策判断の根拠を、より具体的なデータによって説明することが求められるようになってきたのは確かだろう。
議会の質問も、政策の基本方針を尋ねるだけでなく、事業ごとの実績や費用、効果、さらには意思決定に用いられた数字にまで踏み込むことがある。
こうなると、答弁する部長も大変である。
部長は組織全体を見渡す立場にあるが、所管するすべての事業について、個別具体の数字を一つ残らず記憶しているわけではない。
そんなことができるなら、部長というより歩くデータベースである。
そこで、日々の実務を担う課長の存在が重要になる。
かつては必要に応じて控室から呼び出していた担当課長が、今では最初から議場に控えるようになった。
なるほど、合理的な変化ではある。
格式が下がったのか、機能が進化したのか
ここで、少々ややこしい問題が生じる。
議場に入る人が増え、かつての厳格な空間的区分が緩やかになったことは、議場の権威性が薄れたようにも見える。
しかし、それは議会がより詳細な情報を求めるようになった結果とも考えられる。
つまり、同じ現象を、議会の格式の低下とも、議会機能の高度化とも解釈できるのである。
しかも、両者は必ずしも矛盾しない。
議場の格式が薄れながら、審議の内容が充実することだってあり得る。
反対に、実務担当者を大勢並べたところで、質問と答弁が充実するとは限らない。
議場の人数が増えれば議会の機能が高まるというのであれば、いっそ全職員を呼んでしまえばよいことになる。
無論、そんなことをしたら議場が人であふれるし、市役所の仕事も止まってしまう。
結局、問われるべきは、議場に何人いるかということだけではない。
必要な情報が適切に示され、責任ある立場の人が判断を説明し、議員がそれを十分に検証できているか。
そこにこそ、議会の実質的な権威があるのではないだろうか。
さらば、課長呼び出しボタン
もちろん、現在の運用がEBPMの普及によって生まれたものだと断定するつもりはない。
議会運営の効率化や、質問内容の変化、職員の負担など、さまざまな事情が重なった結果なのだろう。
それでも、使われなくなった一つのボタンから、地方議会を取り巻く時代の変化が見えてくるというのは、なかなか興味深い。
かつては必要とされた設備が、いつしか不要になる。
しかし、設備が不要になったからといって、それを生み出した制度や考え方まで無意味だったことにはならない。
むしろ、なぜその設備が必要だったのかを考えることで、今の制度がどのように成立しているのかが見えてくる。
議場の片隅に残された課長呼び出しボタン。
もはや押されることのないそのボタンは、地方議会の変化を物語る、ささやかな歴史資料なのかもしれない。
もっとも、当のボタンにしてみれば、地方自治の進化だの議会の権威だのと大層な話をされても、知ったことではあるまい。
ただ一度、押されるために生まれてきたのだから。
長い間、お疲れさまでした。
議場見学の隠し玉として、課長呼び出しボタンの説明をしてきた者として、一抹の寂しさを覚えないとは言わない。
しかし、世界のアップデートに対応できる中年男性でいたいものである。

